国境なき獣医師団野戦病院。アフリカでの獣医時代、この言葉がお似合いの俺の診療所。 俺の勤務していた診療所は。 とりあえず、国立の家畜診療所だった。 そう、そこには民間の動物病院なんて存在しないからだ。 しかしながら、タンザニア政府自体がとっても貧しく。 もちろん診療所は、非常に貧しい。 診療所と呼ぶには程遠いほどの、掘っ立て小屋。 前の通りは、アスファルトで舗装されているわけでもないので。 乾季は、そりゃぁもうほこりまみれだ。 診療所の備品も非常にお粗末だ。 備品は、『タンザニア獣医時代』の写真で見えるわずかな器具ばかり。 水道は一応あったけど、断水なんてしょっちゅうだった。 患者は、そんなところへ朝から結構押し寄せる。 毒吐きコブラにつばかけられて目をつぶされちゃったワンちゃんや。 夜中に、何かと格闘して負傷した番犬とか。 朝、診療所に出勤すると、入り口で列をなしている事が時々あった。 以前に一度、手押し車に乗せられて、死にかけたライオンが運ばれてきたときはあせったぜ。 写真は、そんな掘っ立て小屋での治療風景。 この犬、実は麻酔かかってないんですよ。 麻酔なんて高価な代物は、そう簡単に入手できませんでしたから。 イヌも我慢。 以前一度、ルワンダ国境の難民キャンプにお邪魔した事があったけど。 そこで、俺はあの有名な国境なき医師団の方々とお会いした事があった。 難民キャンプは、俺が想像していたよりもはるかに清潔で、みんなの健康状態も比較的よさそうだったけど。 それでも、あの状況で活躍している医者というのは、俺の目にはすばらしいものに映ったんだ。 俺は人間の医者ではなく。 獣の医者であるけれど。 ↑ これは庭先での避妊手術の一例。 器具もほとんどない。 イヌはすこ~しだけ麻酔をかけて。 そして地べたでの手術。 それでも、ちゃんと感染を起こす事もなく。 無事に手術をいつもしていた。 日本での綺麗な環境での手術になれちゃうと。 たぶんこわくてできやしないけれども。 これもきっと必要な技術の一つだと思っています。 でも今考えるとすごい事やってたもんだよ、ほんとに。 タンザニアでも、もちろん獣医として仕事をしていたけれども。 その内容は、日本とはかなり異なる。 日本では、獣医もかなり分業制が進んでいて。 例えば、小動物のお医者さんとか。 ウシ、ブタなどの大動物のお医者さんとかに分けられる。 さらに小動物のほうでは、眼科とか腫瘍科とか人間の医者並みに細分化が進んでいる。 そしてその分野を極める事に集中して、勉強されている。 ところが、アフリカはそんな生易しくはない。 タンザニアでは、獣医が行う仕事の全てをこなさなければならないんだ。 それは、動物のためだけではなく。 飼い主さんからのニーズもあり。 そして、診療所の連中のためでもあった。 ウシの人工授精をやらねばいけない。 ウシ、ブタ、ニワトリのワクチン接種に往診に行かなきゃならない。 イヌの狂犬病の予防接種をしなきゃいけない。 イヌ・ウシ・ネコの治療をしなきゃいけない。 病死した患蓄の解剖をしなければいけない。 家畜の餌の指導をしなけりゃいけない。 屠畜検査をしなければいけない。 野生動物の治療も要請があればしなければいけない。 ↑ 村で、パーティー用のヤギの剖検♪ パーティーの時も仕事なのだ。 タンザニアでは、ある種の技術者を全て『Fundi』と呼ぶ。 それは、自動車整備士から、家具造りの職人から、靴の修理屋さんまで。 非常に幅広い。 獣医もある種のFundiとして扱われる事もあるんだけど。 一応動物でも命のあるものを扱うということで。 その地位は、Fundiではなく。 どっちかって言うと呪術医(ウィッチドクター)に近い。 なんで?? さてそんなFundiが俺の診療所にもいた。 写真がその二人。 手前でいじくっているのが自動車整備士。 その後で微笑んでいるのが、ドライバーだ。 あっ真ん中で偉そうに突っ立ってるのは俺です。 ごめんなさい。 この隣のぼろ車。 診療所の往診用の車なんだけど。 めっちゃぼろいんだ。 それはそれはしょっちゅう壊れる。 もう直しても直しても。 毎日のように。 だから、彼らは必要不可欠な存在だ。 タンザニアは日本と違ってものがない。 もちろん、部品を買いたくてもないんだ。 そんな時彼らが大活躍をする。 廃車から似たような部品を探し当ててきて、それをスペアパーツとして使ったり。 時には自分で作り出したり。 その技術には恐れ入る。 日本じゃ、彼らの技術は全く役にはたたないだろうけど。 だってすぐ部品買えちゃうもんね。 でもアフリカの地じゃ、重要人物。 よく俺のバイクは、アカシアのとげが刺さってパンクしちゃったけど。 それをやつは直してくれたっけかな。 そんなハングリー精神を教えてくれた彼ら。 ある意味人生の師匠かもしれない。 こんなふうに、それはそれはいろんな事をやったもんだ。 今思うと、我ながらすげぇと思う。 乾季に仕事が少なくなると。 普段しないような仕事もしなければならない。 ウシの角きりとか。 ニワトリの嘴きりとか。 イヌの薬浴とか。 そうしないと、診療所の連中が食いっぱぐれてしまうんだ。 写真は、そんなときの角きり場面。 マーゲイに角きりの指導をしているところ。 女性だけど、結構荒くれのやる仕事を好んでするんだ。 あっぱれだぜ。 そして、タンザニアは日本と違って物に恵まれた所ではない。 限られた薬を使ったり。 時には自ら薬を作ったり。 そして臨機応変にその時の状況に対応しなければいけなかった。 ↑ この写真の方は、俺のお得意さんの牛飼いのタンザニア人。 タンザニア人といっても、その血筋は実はインドの方。 大英帝国が、アフリカに植民地を作った頃、そこへまず駆り出されたのは、実はインドから奴隷として連れてこられた人達だったんだ。つまりは奴隷の逆輸入。 今はもうすっかりタンザニア国民として済んでいるけれど、そんな一言じゃ語れない歴史を持つそんなご子孫。 ウシいっぱい飼ってたっけなぁ・・・。 日本で『ドクターコトー診療所』ってなドラマがやってましたよね。 あんなにきれいな物語では決してないけれど。 そんな感じに仕事をしていたと思います。 そして彼らと同じような志を持って、仕事をしたいといつも思ってた。 それは今でも思っているんだけど。 なかなかそんな風になるのは難しい。 せめて志だけでも忘れないように。 がんばりたいと思います。 |